親密さへの恐れ<9>

私は英国の哲学者、エドモンド・バークを思い出す。彼は英国の大司教ととても仲がよかった。エドモンド・バークが大学で講演をすると、大司教は決まって彼を聴きに行ったものだ。聴くだけの価値はあった・・・彼の声明ひとつひとつが彼の全体性を伴って、偉大な権威を伴って来ていた。だが彼は日曜日に、教会に大司教を聴きに行くことは決してなかった。大司教は言った。「少なくとも一度は来るべきだ。私はいつも君を聴きに行っている・・・」 


エドモンド・バークは言った。「あなたが私を聴きに来るのは、あなたが何を知っていようとも、それはあなたの知識ではないからだ・・・それは全て借り物だ。しかも、あなたはそれに確信がない。私が何を言おうとも、それは私の体験だ。そして私は、それに対するあらゆる証明と証拠と論拠を挙げる。私は自分の声明の為に命を賭けることが出来る。あなたはオウムにすぎない。だがあなたが求めているから、私は次の日曜日には行こう」 


そこで大司教は、本当に素晴らしい説教を準備した。エドモンド・バークが列席するのだから、説教は出来る限り偉大なものでなければならない、と考えて・・・。だが彼は驚いた。エドモンド・バークは最前列に座っていたが、彼の顔には感動が見受けられなかった。大司教は彼がそれを気に入っているのか、嫌っているのか、それに同意しているのか、あるいは異議があるのか、判断することが出来なかった。彼は非常に困惑した。 


説教が終わると、エドモンド・バークは立ち上がって言った。「質問がある。非常に単純な質問だ。というのもあなたの説教全体は、つまるところあなたのキリスト教神学に従って、徳の高い生を生きジーザス・クライストを信じる人々は、この生の後で天国に行くということだからだ。ジーザス・クライストを信じずに罪人の生を生きる人々は、この生の後で永遠の地獄に落ちる。私の質問は」とエドモンド・バークは言った。 


「もしある人物が、徳は高いがジーザス・クライストを信じていなかったらどうなるのか?ということだ。彼は善良だ。彼の生涯は称賛するに値する生だ。だが彼はジーザス・クライストを信じていない・・・彼はどこに行くことになるのか?あるいはジーザス・クライストを信じてはいるが、たいへんな罪人である人は・・・彼はどこに行くことになるのか?あなたは、ふたつの非常に重要な要点に言及しそこねた。あなたの説教は半分だった。私は、あなたがこのふたつの可能性に気づいているかどうか見る為に、待っていたのだ」 


大司教はしばらく考えた。質問は本当に危なかった。もし彼が、善い人々はジーザス・クライストを信じようが信じまいが、天国に行くことになると言ったら、ジーザス・クライストと彼への信仰は余計なこと、非本質的なことになる。そしてもし彼が、ジーザス・クライストを信じる者達は罪人であろうとも天国へ行くと言ったら、罪は教会そのものによって認められることになる。彼は非常に混乱した状況に陥った。 


彼は言った。「あなたの質問は、しばらくよく考えてみる必要があります。私に7日間ください・・・次の日曜日にはそれに答えましょう」7日間、彼はあらゆる教典に取り組んだ。この方法、あの方法とやってみた。だが・・・質問は単純だった。そして彼はディレンマに陥った。この7日間、彼は眠れなかった。 


どうやって彼は、エドモンド・バークと自分の会衆に顔を合わそうというのかね?彼が何を言っても、間違いのように思われる・・・それはジーザス・クライストに反するか、あるいは徳の高い生に反するか、そのどちらかだ。彼はその男を教会に来るように招いたことを、およそ後悔した! 


彼は朝早く教会に行った。会衆が来る前に。依然として彼には答えが何もなかった。彼は考えた。「朝早く誰も教会にいない時、私はクライストその人に光を見せてください、答えを与えてくださいと祈ろう。私の名声が危機に瀕しているだけでなく、彼の名声も危機に瀕しているからだ」 


7日間、絶えず思い煩い、眠らずに・・・彼はジーザス・クライストの像の前で礼拝していた。彼は眠りに落ちて夢を見た。言うまでもないことだが、7日間、彼のマインドの中にはひとつのことしかなかったのだから、その夢もまたそれと関わりがあった。 


彼は自分が列車に乗っているのを見て、こう尋ねた。「私達はどこに行こうとしているのですか?」誰かが言った。「この列車は天国に行くんだ」彼は非常に気が楽になって、こう言った。「それはいい。おそらくこれはジーザス・クライストがしていることなんだ。誰が天国に行き誰が行かないかを、自分で見ることが出来るわけだ」 


天国の駅に着くと、彼にはそれが信じられなかった。駅は非常に朽ち果てていた・・・彼は天国の中に入った。彼が出会う人々は、ほとんど歩く屍(しかばね)のようだった。彼は何人かの聖者を認めて、彼らに尋ねた。「ひとつお聞きしたいのですが、ゴータマ・ブッダはどこにおられますか?というのも彼はジーザス・クライストも、神も決して信じてはいませんでしたが、思いつく限りもっとも道徳的な人々のひとりではあったのですから」聖者は言った。「彼はここにはいない」 


「ソクラテスは?彼も神を信じる人ではありませんでしたが、非常に徳の高い人でした」「彼もここにはいない」そこで彼は言った。「なぜ、この天国全体が廃墟のように見えるのですか?それに聖者達は死人のようです・・・喜びがあるとは思えません。私は天使達が竪琴を奏でながら、歌い続けているものといつも考えていました。天使も、竪琴も、歌も、踊りも、見当たりません。何人かの生気のない、死んだような聖者達が、木々の下に座っているだけです」そして彼が誰に尋ねても、彼らはこう言った。「私達に構わないでくれ。私達は疲れているんだ」 


その瞬間に、おそらく地獄に行く列車もあるかもしれない、というちょっとした考えが彼のマインドに入って来た。そこで彼は急いで駅に戻った。列車はプラットフォームに停まっていて、地獄に向かうところだった。彼は列車に乗り込み、地獄が近づくにつれてますます困惑して来た。風は花の薫りがして、緑がとても多く、言いようもなく瑞々しかった。駅は非常に美しかった・・・駅がこんなにも美しくあり得るとは、彼は一度も考えたことがなかった。 


見ると人々は非常に幸せで、非常に喜びにあふれていた。彼は言った。「何てことだ。何かがおかしくなっているのか、それとも?」彼は尋ねた。「これは本当に地獄なのか?」彼らは言った。「かつてはそうだった。ゴータマ・ブッダ、ソクラテス、エピクロス、マハヴィーラ、老子、これらの人々がここに来る前は地獄だった。だが今では、彼らが場所全体を変容した」 


彼は地獄に入った。それは信じられなかった。純然たる喜びだった。空気そのものが至福に満ちていた。そして踊りがあり、歌があった。そこで彼はある人に尋ねた。「ゴータマ・ブッダはどこにおられますか?」すると彼らは言った。「庭園の中が見えますか?彼は薔薇に水をやっています」「で、ソクラテスはどこに?」すると彼らは言った。「ソクラテスは畑で働いています」「エピクロスはどこに?」彼らは言った。「彼はあなたのそばを通り過ぎたばかりですよ。踊りながらギターを弾いていた人が、エピクロスでした」 


まさにその瞬間に、あまりのショックで・・・彼は目が覚めた。彼は言った。「何てことだ、何という夢なんだ!」そして、人々が到着し始めていた・・・なかでもエドモンド・バークはすでに最前列の席について、答えを待っていた。哀れな大司教は言った。「私は答えを見い出すことが出来ませんでした。ですが夢を見ましたので、それをあなた方にお話しすることにします。みなさんは、その夢から答えを締めくくることが出来るでしょう」 


彼は夢を詳しく述べた。エドモンド・バークは言った。「さあ、あなたも結論を出しなさい!結論ははっきりしている。善い人々がいるところであれば、どこであれ、そこに天国があるということだ。善い人々が天国に行くというのではない・・・善い人々がいれば、どこであれ、そこが天国になる。そしてどこであれ、愚かな人々と白痴達がいれば・・・彼らは神と、ジーザス・クライストと、『聖書』の偉大な信者かもしれないが、それは問題ではない・・・天国ですら廃墟になる。それは地獄になる」 


私はこの出来事をとても愛した。これは私のアプローチでもあるからだ。もしあなたが単純で、愛に溢れ、開いて、親密だったら、あなたは自分の周りに天国を創る。もしあなたが閉じていてたえず防御しながら、誰かが自分の思考を、自分の夢を、自分の倒錯を知るようになるかもしれないと、常に思い煩っていたら・・・あなたは地獄に住んでいる。地獄はあなたの内側にある、天国もそうだ。それらは地理的な場所ではない。それらは、あなたのスピリチュアルないくつかの空間だ。 





       

瞑想なしに、生はない。瞑想を知り、生を知る。

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