親密さへの恐れ<4>

最初のステップは、あなたのあらゆる伝統にもかかわらず、自分を全面的に受け容れることだ。その伝統が人類全体を狂気に駆り立てて来た。あるがままの自分を一度受け容れたら、親密さという恐怖は消える。 


あなたは尊敬を失うことは出来ない。あなたは自分の偉大さを失うことは出来ない。あなたは自分の自我を失うことは出来ない。あなたは自分の敬虔さを失うことは出来ない。あなたは自分の聖人らしさを失うことは出来ない・・・。あなたは自分自身である全てを落とした。あなたは完全に無垢で、まさに幼い子供のようだ。あなたは自分自身を開くことが出来る。なぜならあなたは、倒錯になっている醜い抑圧でいっぱいになっていないからだ。 


あなたは自分が真正に、正直に感じることを何でも言うことが出来る。そして親密になる用意があなたにあれば、あなたは相手の人にも親密になるように勇気づける。あなたの開いていることが、相手の人もまた、あなたに対して開くことを助ける。あなたの自負のない単純さが、相手にも単純さを、無垢を、信頼を、愛を、開いていることを楽しませる。 


あなたは愚かな概念で身を固めている。そしてその恐怖とは、自分が誰かと非常に親密になったら、その人がそれに気づくだろうということだ。だが、私達はもろい存在だ・・・存在全体の中でもっとももろい。人間の子供は全ての動物の中で、もっとももろい子供だ。他の動物の子供達は、母親がいなくても父親がいなくても、家族がいなくても生き延びることが出来る。だが人間の子供はすぐに死ぬ。 


だから、このもろさは非難を受ける何かではない・・・それは意識の最高の表現だ。薔薇の花は弱くなる。それは石ではない。あなたが石ではなく薔薇の花であっても、そのことで気を悪くする必要はない。ふたりの人物が親密になって初めて、彼等はもはや見知らぬ人ではない。そして、自分だけが弱さでいっぱいになっているのではなく・・相手もまた・・おそらくは誰もが弱さでいっぱいになっていることに気づくのは、素晴らしい体験だ。 


あらゆるものの、そのより高い表現は弱くなる。根は非常に強い。だが、花はそれほど強くはあり得ない。その美があるのは、それが強くはないからだ。朝になると花は太陽を迎え入れ、風の中で、雨の中で、太陽の中で踊る為に、その花びらを開く。そして夕方になると、その花びらは落ち始める。それは去っている。美しく貴重なもの全ては、束の間のものになる。 


だがあなたは、あらゆるものが永遠であって欲しい。あなたは誰かを愛して「私は一生あなたを愛する」と約束する。ところがあなたは、明日ですら自分には確信がないことを完全によく知っている・・・あなたは偽りの約束をしている。あなたに言える全ては「私はこの瞬間には、あなたとの愛の中にいる、私は自分の全体性をあなたに与えよう。次の瞬間については、私は何も知らない。どうして約束出来るだろう?あなたは私を許すしかない」ということだけだ。 


だが恋人達は、果たすことの出来ない、あらゆる種類のものごとを約束し合っている。そうなると欲求不満が入り込む。そうなると隔たりはさらに大きくなる。そして戦い、衝突、争い・・・もっと幸せになるはずだった生は、長く引き伸ばされた惨めさにすぎなくなる。 





   

瞑想なしに、生はない。瞑想を知り、生を知る。

どの瞬間にもフルに生き、愛し、笑うコツをご紹介します。

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