親密さへの恐れ<2>


これが友人の間の、恋人の間の争いのひとつだ。誰も自分の防御を落としたくない。まったく裸の、誠実な、隠し事のない立場には誰も入りたくない。そして両者とも親密さを必要とする。あなたが自分のあらゆる抑圧を、禁止を落とさない限り・・・それらはあなた方の宗教、あなた方の文明、あなた方の社会、あなた方の両親、あなた方の教育からの贈り物だ・・・あなたは誰かと親密になることは決して出来ないだろう。 


そして、あなたが主導権を取らなければならない。だがどんな抑圧も、どんな禁止もなければ、傷もあなたにはひとつもない。もしあなたが単純な、自然な生を生きていたら、親密さという恐れはなく、途方もない喜びがある・・・ふたつの炎が、ほとんどひとつの炎になるほど近づき合う、その喜びが。そしてその出会いは、途方もない喜びを、満足を、充足をもたらす。 


だが親密さを試みることが出来る前に、あなたは自分の家を完全に綺麗にしなければならない。親密さが起こるのを許すことが出来るのは、瞑想の人だけだ。彼には隠すものが何もない。彼は、誰かが知ってしまうかもしれないという恐れを抱かせていた、その全てを、自分自身を落とした。彼には沈黙と、愛に溢れたハートしかない。 


あなたは自らの全体性において、自分を受け容れなければならない。もし自らの全体性において自分を受け容れることが出来なければ、他の誰かが自分を受け容れてくれることを、どうして期待することが出来るだろう?しかもあなたはあらゆる人から非難されて、ひとつのこと、自分を非難することしか学んでいない。 


あなたはそれを隠し続ける。それは他人に見せるような、素晴らしい何かではない。あなたは醜い物事が自分の中に隠されているのを知っている。あなたは邪悪な物事が自分の中に隠されているのを知っている。あなたは動物性(アニマリティ)が自分の中に隠されているのを知っている。あなたが自分の態度を変容させて、自分を存在の中の1匹の動物として受け容れない限り・・・。 


「アニマル」という言葉は悪くない。それはただ、活気に満ちているという意味だ。それは「アニマ」に由来している。活気に満ちていれば、誰でもアニマルだ。だが人間は「あなたは動物ではない。動物はあなたよりもはるかに低い。あなたは人間だ」と教えられて来た。あなたは偽りの優越性を与えられて来た。 




瞑想なしに、生はない。瞑想を知り、生を知る。

どの瞬間にもフルに生き、愛し、笑うコツをご紹介します。

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