親密さへの恐れ<1>

質問:愛するOSHO。たくさんある自分の恐怖の中で、私がもっとも気づいているのは親密さという恐れです。私は、人々との関係では当て逃げする運転手のようです。親密さという私の恐れについて、何か話していただけますか? 




 ラーマ・プレム、あらゆる人が親密さを恐れている。あなたがそれに気づいているかどうかは、別のことがらだ。親密さとは、見知らぬ人の前で自分をさらけ出すことだ。私達はみな見知らぬ人々だ・・・誰かを知っている人は1人もいない。私達は自分に対してすら見知らぬ人々だ。私達は自分が誰だか知らないからだ。 


 親密さは、見知らぬ人にあなたを近づける。あなたは自分のあらゆる防御を落とさねばならない。そうして初めて親密さがあり得る。その恐れとは、自分の全ての防御を、自分の全ての仮面を落としたら、見知らぬ人が自分をどうするつもりなのか、誰にも分からないではないか?ということだ。 


そしてその恐れとは、見知らぬ人である誰かとでは・・・あなたはその人物と30年40年一緒に住んでいるかもしれないが、それは問題ではない。その不可思議さは決して消え去らない・・・。少しの防御を、少しの距離を保つ方が安全な感じがする。なぜなら自分の弱さを、自分のもろさを、自分の傷つきやすさを、誰かが利用することもあり得るからだ。 


あらゆる人が親密さを恐れている。問題はますます複雑になる。なぜなら、あらゆる人が親密さを望むからだ。あらゆる人が親密さを望む。さもなければ、あなたはこの宇宙で独りだからだ・・・友人もなく、恋人もなく、信頼出来る人は誰もいない。自分の全ての傷を開くことの出来る相手は誰もいない。そして傷は開かれない限り、癒されない。あなたが隠せば隠すほど、それらは危険になる。それらは癌のようになる。 



親密さは、一方では欠かすことの出来ない必要だ。だから、あらゆる人がそれに憧れる。だが彼は相手に親密であって欲しい。そうすることで相手が自分の防御を落とし、傷つきやすくなり、自分の全ての傷を開き、自分の全ての仮面と偽りの人格を落とし、あるがままの裸で立つように・・・。そしてもう一方では、あらゆる人が親密さを恐れている・・・相手には親密であって欲しいのに、あなたは自分の防御を落としていない。




・・・続く



瞑想なしに、生はない。瞑想を知り、生を知る。

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