瞑想「そのコツ」



ほんとうの瞑想はコツにあるのであって、技巧にあるのではない——それはおのずと起こる静寂さのなかに落ち入ることだ。


もし、あなたが毎日24時間見守るならば、自分が自動的に静寂のなかに落ち入ってゆくいくつかの瞬間を見い出すだろう。それが正確に私が意味することだ。それはひとりでにやってくる。ただわれわれが見守っていなかっただけだ。


だから、気づくべき最初のことは、それらの瞬間がやってきたとき……それらがやってきたら、していることすべてを中断しなさい。


静かに坐り、その瞬間といっしょに流れなさい。それは自然にやってきた、あなたは強制しなかった、だからそこには抑圧が含まれていない。

それがあなたを所有するのを、あなたは単に許しているだけだ。そしてそれがやってくるとき——それは自然なものだ。


いくつかの窓がいつもひとりでに開くのだが、われわれはたいへん忙しいため、窓があいていて、そよ風が入ってきていること、太陽の光が射し込んでいることがまったくわからない。われわれはそんなにも仕事に追われているのだ。 


ある特定の時間内にこれらの解放が起こるように強いることはできない。


しかし、人びとはある特定の時間に瞑想しようとする。ときにはごく稀にそれが偶然に起こるが、さもなければそれは起こらない。あなたは儀式のように瞑想をやりつづける  


だから見守りなさい……朝早く、長く深い眠りから醒めてあなたが新鮮なとき、世界がちょうど目を醒ましたばかりで鳥達が歌いはじめ、太陽が昇ってくるとき、自分を取り巻いている一瞬、内側で成長していく空間を感じたなら、ただちにその中に落ちなさい。


木の下や川のほとり、あるいはあなたの部屋のなかで、静かに坐り、ただ在りなさい……なにもすることはない。

その空間をただ大切にし、それを伸ばそうとしないこと。それが消えてなくなったら、立ち上がり、そのことについては忘れてしまいなさい。あなたはほかの多くのこともしなければならない。


そして、待ち望んではいけない-それはひとりでにまたやってくるだろう、それはいつも招待しないのにやってくる。

それはひじょうにはにかみ屋だ。もし呼んだりしたら、それはけっしてやって来ない。追いかけたら、それは消えてしまう。それはひじょうに繊細ではずかしがり屋だ。

瞑想と呼ばれるスペースはたいへん女性的だ。しかしそれはやってくる。辛抱強く待つことができれば、それはやってくる。それも日に何回となく。 



ときには全世界が静寂に沈んだ夜に、突然それが現れる。そうしたら、そのなかに飛び込みなさい。


そしてときには、まわりじゅうが騒音だらけの市場においてすら、それは起こる。それがそこにあり、あなたは我を忘れる。

そのとき、それは神聖な沈黙だ。それはあなたが造ったものではなく、神からの贈りものだ——プラサード、神の恩寵だ。 



いったんそのコツを覚えたら、それはもっともっとやってくるようになる。そうしたら、あなたはそれとのある種の調和のなかに落ちるようになる。


沈黙、静穏、静寂と呼ばれるスペースとあなたの間で恋が始まる。そしてその絆はどんどん深くなっていく。最終的に、究極的には、それはつねにそこにある。


いつであれふと目を閉じれば、それを見ることができる、それはそこにある。


それはほとんど触れることができるほどだ——それは実体があるものになる。


しかしそれはコツであって、技巧ではない。それを学ぶことはできない……それは体得されるべきものだ。

 

OSHO



http://www.osho.com/ja/read/osho/osho-on-topics/topic-136

瞑想なしに、生はない。瞑想を知り、生を知る。

どの瞬間にもフルに生き、愛し、笑うコツをご紹介します。

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